自分に正直に生きることが
美しい生き方のように語られますが、
この「自分に正直に」って部分、
かなり怪しいなって思っちゃいます。
細かく言えば、
「自分」って何?
「正直に」ってどういうこと?
って話になってきますが、
「自分に正直に」という生き方を
美学としている人の意図するところは、
「自分に正直に生きる」
=「自分の感覚に従って行動する」
って解釈で、大体、間違ってないと思います。
でも、そうやって
『自分の感覚に従って行動してると、
実はどこへも辿り着けない』
というのは、
案外、盲点になってるような気がしてます。
ここでの「自分の感覚」って、言い換えると、
「その時その時の自分の感情」です。
人間の感情というのは、些細なことで
180度変わっちゃったりするものです。
「今日は天気が良くて気持ちいいな」
なんて思ってても、
午後に唐突に降り出した雨で、
ちょっとブルーな気持ちになったりするんです。
新しく出会った人の
第一印象が素敵で気分が弾んでても、
5分後の些細な一言で、最初の印象が
吹き飛んだという経験を持っている人も
少なくないかと思います。
人間の感情ほど不確かなものはないと思ってます。
「自分に正直に生きていく」
なんて信念を持ってる人に限って、
新しいことに飛び込んだ時、
ちょっとした居心地の悪さから
過去のパターンに引き戻されたりします。
これって、
「私は過去の反応パターンに従って生きていきます」
って宣言してるようなもんですよね?
人間の感情というのは、
外部刺激で簡単に変わりうるものなんです。
それに従ってる限り、感情の奴隷として、
右に左にゆらゆらと揺れているだけだということに
気づいた方がいいですね。
こういった自覚がないまま、
「私は自分に正直に生きていくんだ!」
なんていう視点の低い無邪気な信念は、
人生のステージアップを邪魔するし、
永遠に現実を変えることはできないかもしれません。
地に足がつかないままフラフラするばかりで、
他人からの信頼を得られないばかりか、
自分で自分を信頼することすら難しくなってきます。
「自分に正直に生きていく」
というのは、
「自分の理性に従って生きていく」
である必要があります。
過去のパターンの延長に、
理想の未来というのは存在しません。
だから、理想の未来に向かうためにも、
未来の臨場感に裏打ちされた『理性』に従って
行動していかないといけないんです。
「自分に正直に生きていく」
「自分を信じて生きていく」
というのは、そういうことなんです。
本田選手が入団会見で、
「ACミランを選んだ理由は?」
という質問を受けて、
「心の中のリトルホンダがACミランだと答えたから」
と言ってましたが、
彼の言葉に説得力があるのは、
それまでの彼の理性に裏打ちされた行動と実績があり、
そのことをみんなが知っているからです。
「自分に正直に生きていく」
という美意識に囚われて生きている人は、
他力が働いて、いつか理想の現実が
向こうからやってきてくれることを
期待してるように見えなくもないです。
シンデレラストーリーに自己成長はありません。
理想の未来(ロマンス)を手に入れたかったら、
感情の奴隷としてファンタジーに生きるのではなく、
理性の主人として超現実主義に生きることですね。