『心の効率化』と『心の手間ひま』の仕分け作業

先日、日本に帰った時、

 

新宿駅西口で東北地方への支援募金

を呼びかける若者を見ました。

 

 

「募金にご協力ください!

 復興はまだ、終わっていないんです !!」

 

 

彼らは道ゆく人々に大声でそう呼びかけながら

必死に東北地方の復興に尽力しているようでした。

 

 

 

それを見た通りすがりのサラリーマン風の人は

ポケットから財布取り出して、

 

彼らが手に抱えた小さな箱の中に

小銭を落としました。

 

 

 

 

そこで、僕は思ったんです。

 

 

「はて?」と。

 

 

「彼らは何をやっているんだろう?」

 

そんな違和感を持ったわけです。

 

 

 

もちろん、何をやってるかぐらいわかってます。

 

 

 

募金です。

 

 

 

そうじゃなくて、僕が感じたのは

 

「彼らは本当に東北のために

お金を集める気があるんだろうか?」

 

ということです。

 

 

 

もちろん、募金自体を

否定しているわけではありません。

 

 

でも、今の時代、本気でお金を集めようと思ったら、

募金という結論には辿り着かないはずなんです。

 

 

本当に復興に貢献しようとすれば

膨大なお金がかかりますから。

 

 

 

同じような違和感は他のところでも

感じたことがありあます。

 

 

通勤途中、交通量の多い通りに立って

通り過ぎる車に向かって、

 

大声で本を読み上げて、

何かを訴えてる女性を、度々、見かけます。

 

 

聖書でしょうか。

 

 

 

もちろん、車やバイクのノイズに紛れて

何を叫んでいるのかまでは聞こえてきません。

 

 

 

「彼女は本当に何かを

伝えようとしているんだろうか?」

 

 

そんな疑問を持ってしまうんです。

 

 

 

 

人生とはある意味、自己満足なわけですが、

 

「何を何のためにやっているか」

 

ということに自覚がないと、

 

自分が割いた時間と、使ったエネルギー量に

見合わない結果しか得られないばかりか、

 

ともすれば、膨大な時間と

エネルギーコストを消費した割に

 

現実は何一つ前進してないなんてことも

十分あり得ます。

 

 

 

こんなこと言うと、冷たい人間のように

思われるかもしれませんが、

 

僕らは現実というものをしっかり見て、

自覚的に行動を起こしていく必要がある

と思っています。

 

 

 

 

僕には南相馬市に住む友人がいますが、

 

数年前、震災で以前のように思い切り

外で遊ぶことができなくなった子供たちを、

 

夏休みに大磯ロングビーチに連れて行って

好きなだけ水遊びをさせてあげる

 

という企画を立ち上げて、

クラウドファンディングでお金を集めました。

 

 

 

このオファーをもらった時、

迷うことなく賛同したし、

 

もちろん、彼は目標金額を達成して

短期間で37万円ほどのお金を集めました。

 

 

もし、彼が募金という手段を使ってたら

おそらくこんな結果は出せなかったと思うんです。

 

 

街頭募金で「一口3000円から」なんて

言ってたら、

払う人なんかほとんどいないでしょう。

 

 

 

時代は変化しているんです。

 

 

 

『時代の変化についていけてない』

 

『自分がやってることに自覚がない』

 

が自分を見当違いな行動に駆り立てます。

 

 

 

僕は何も効率化がすべてだとは思わないし、

効率化だけを求めていると、

味も素っ気もない人間になってしまいます。

 

 

 

自分が知らなところで、

手間暇かけて誕生日会の準備をしてくれると

誰でもうれしいものです。

 

 

人は手書きの心のこもった手紙を受け取ると、

何年も机の引き出しに大切に保管してたりします。

 

 

 

要は、何に手間をかけるのか、

何を効率化していくのか、

 

そういったことを考えることを抜きにして、

 

『今までもそうしてきたから』

 

という行動基準で思考停止状態でいると、

 

『命という時間』を見当違いの

行動に捧げることになるんです。

 

 

 

労力を使う部分とそうでない部分を

自分の中で明確に分けることは頭を使いますが、

 

こうしたこころの仕分け作業にはエネルギーを

かける価値があると思うのです。

 

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