自分の過去に執着して生きていくと
自分の世界は狭く、『調和』とは
かけ離れたものになっていきます。
これが無自覚のうちに進行すると
どうなるか。
古代エジプトから語り尽くされた
耳タコの代表格、
「最近の若いものは、、、」
という言葉を例に出すまでもなく、
それは『老害』と言われる形で
表出するようになります。
『老害』とは、
年齢的な老いと、それに伴う
社会との摩擦を表すのではなく、
こころの老いによって生まれる
社会との軋轢を示す言葉だと
僕は考えてます。
言うまでもないことですが、
『こころの老い』に
実年齢は関係ありませんね。
『こころの老い』とは
自分の過去への執着から生まれます。
そして、こころが老いると
自分の人生は常に過去の支配下に置かれる
ことになります。
自分の人生というのが
過去に規定されてしまうので、
広がりを欠いた
狭い世界を生きることになります。
最近、僕が参加したオンラインサロンで
こんなことがありました。
そのオンラインサロンというのは
超一級のコンテンツを無料で配布するような
『熱意』にあふれたサロンなんですが、
ある方がコメント欄で、
主催者に対するクレームとも取れるような
悪態をついて退会されていったんです。
「クレーム内容はそのシステムの
複雑さについていけない」
といった内容だったんですが、
これどう思います?
もちろん、彼も無料の部分は
しっかりと受け取っているはずです。
実際に会ってみると、おそらくは
常識のある良い方なのかもしれませんが、
インターネットというインフラに対して
まだまだリアリティを持ててないんだろうな
と思うんです。
2ちゃんねるが全盛の時代、
ネット掲示板というのは
『トイレの落書き』の代替のような
使われ方をしていましたが、
実名顔公開が当たり前となった今、
インターネットというのは現実そのものなんです。
ネットリテラシーが希薄だと
その人の内面がもろに浮き彫りになってきます。
あの方、パッと見、60歳くらいの方
じゃなかったかと記憶してるんですが、
人生100年時代の現代において、
60歳というとまだまだ現役です。
世間では40歳で中年とされていますが、
世間の認識は時代の変化を
捉えきれていないですね。
現代において40歳というと
まだまだ若手の部類だし、
そういう意味では僕なんかまだまだ
若造もいいところだって思うんです。
それに加えてこの高速変化社会です。
過去に囚われ続けることは
こころの退化を意味します。
では、こころを退化させずに生きていくためには
どうすればいいのでしょうか。
それは人生のゴールを明確にする
ことだと僕は考えてます。
ゴールが明確になれば、
過去ではなく常に未来からの影響を
受けながら生きていくことになります。
自分が設定したゴールに必要な情報が
自分に飛び込んでくるようになるからです。
そして、未来視点を持つことは、
やってくるいくつもの壁と向き合いながら
生きていくことでもあります。
でも、それすら意識の未来ベクトルが
乗り越えさせてくれるでしょう。
こころというのは壁を乗り越えるたびに
若返っていくのです。