僕は、世間に流布する『自己責任論』

というものに違和感を感じています。

 

 

 

世間で語られる自己責任論が

 

「自分のことは自分でなんとかしようよ」

 

という、相手を切り捨てるような

ニュアンスで語られるからです。

 

 

 

また、アンチ自己責任論者も、

自己責任論を『弱者の切り捨て』として

批判します。

 

 

 

 

中には、

 

「自己責任重視の社会か?

 それとも助け合い重視の社会か?」

 

なんてことも同時に語られたりしてますが、

 

そもそも、『自己責任』と『助け合い』って

相反するものではありません。

 

 

 

 

どうして、こんな的外れな

議論が生まれるのかというと、

 

自分の人生に責任を持ててない人たちが

『責任』というものを理解しないまま、

 

あーだこーだ言い合っているからです。

 

 

 

『責任』ってけっこう抽象的な言葉ですが、

『責任』とは、要は『引き受け』のことなんです。

 

 

 

だから、『自己責任』というのは、

 

『自分の人生に起こったことを

 自分のものとして引き受ける』

 

ということだと言ってもいいでしょう。

 

 

 

自分の人生を自分のこととして

引き受けて生きている人は、

 

安易に『他人の自己責任』なんて

追求しないはずです。

 

 

 

『引き受ける』という言葉に

もう少し具体性を持たせるなら、

 

それは『他人のせいにしない』ということ。

 

 

 

つまり、自己責任というのは、

ものすごく一人称的な概念なんですよ。

 

 

 

当事者が自分で自分の言動を

自己責任と言うのOK、

 

と言うか、まあ、

そうあって然るべきなんですが、

 

それを他人が言っちゃうのは

アウトなわけです。

 

 

 

なのに、他人の自己責任について、

第三者が、それこそ無責任に言及するから、

 

『自己責任』と『助け合い』が

対立概念として浮上してくるんです。

 

 

 

そうなってくると、

 

「自分のことくらい自分でなんとかしろよ!」

 

という殺伐とした冷たい雰囲気が

社会に充満してしまいます。

 

 

 

そうじゃなくて、

自己責任社会でありながらも、

 

それと同時に、失敗した人を応援、

または助けようとする『雰囲気』を

社会は持っている必要があるんです。

 

 

 

 

もちろん、大前提として、

 

当事者は他人に助けてもらうのを

期待して自己責任論を語るべきではありません。

 

 

他人の援助を期待している時点で、

それは自己責任ではないですからね。

 

 

 

『自己責任』と『助け合い』が

相反するものではないことが理解できれば、

 

個々人が自分の責任として自分の人生を生きつつ、

社会がそれを生暖かく見守る、

 

そんな雰囲気が社会に生まれるのも

それほど難しいことではないと思ってます。

 

 

 

そういったことを踏まえた上で、

『自己責任論』は語られるべきなんです。

 

 

 

自己責任を否定するということは、

 

「自分が辛い人生を送っているのは社会のせいだ!」

 

って言っているようなものです。

 

 

 

アンチ自己責任論者は、『弱者救済』を

論点にしていることが多いですが、

 

自己責任の意味をしっかりと理解していれば、

人生の突破口というのがいずれ見えてきます。

 

 

 

何はともあれ、

当事者を第三者がバッサリ切るような

 

「切り捨て御免」の自己責任論では、

どこにも辿り着けないと思ってます。

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