どうも、TakAです。
僕はかつて重度の鬱という自己肯定感が最低最悪の状態から、
あるキッカケによってそこから解放され、自分が望んでいたことを次々と実現できるようになりました。
例えば、
などなど、こういったものを手に入れることができています。
もちろん、満足しきったとはまだまだ言えないですが、少なくとも小さい頃の自分が見ても誇れるような人生を送ることができています。
とは言っても、これは僕が特別だったからではもちろんなく、キッカケをものにすることができれば誰にでも起こりうることだと確信しています。
「ホントはNOなのに・・・」
こういった類の言葉を何度心の中で呟いたことか、、、
あまり認めたくはありませんが、『イエスマン』という言葉がぴったりなほど自分の主張を抑えて相手に合わせることが日常茶飯事でした。
「この仕事もやっといてくれる?」
こういった上司からの頼み事に対しても、心にモヤモヤを抱えたまま、にわか笑顔で引き受けてしまうような、そんな人間だったんです。
人との会話中にも心に余裕がなく、自分の主張を頑張って伝えようとしても、意図せずムキになってる感が出てしまったり、
とにかく上手に自己主張ができない、というか「こいつコミュ障かよ!」と思われても仕方がないほどひどかったと思います。
いや、ほんとに正真正銘のコミュニケーション弱者でした。
自己肯定感が高い人から見ると
だとわかってしまいます。
相手が性の悪い人の場合、
「こいつは牙を持ってないな」
と悟られると、心理的マウントを取ってきたり、リスペクトを欠いた態度で接してくることもあります。
「自分に合わせてくる人だ」と思われてしまった時点で、対等なコミュニケーションが成立せず相手に関係性の主導権を握られてしまうのです。
言わずもがな、人生は人間関係でできています。
ですので、人間関係の主導権を相手に握られてしまうということは、人生の主導権を奪われてしまうのと同義だと言うことができます。
また、自己肯定感が低い人は相手と対等な人間関係を維持しようとするため、普通の人と比べて対人関係でのエネルギーの消耗が大きく、うかがいしれないところで普段からさまざまな努力や工夫をしています。
僕の場合、度の過ぎた空元気とでも言いますか、自分でもしんどくなるくらい強引にテンションを上げて相手との調子を合わせるってことをよくやっていました。
また、デフォルトでネガティブな思考が自動的に出てきてしまうので、思考のノイズをできる限りゼロに近づるために、出勤前の車の中で毎日瞑想をしてからタイムカードを切ってました。
しかし、瞑想の効果なんてものはクルーズコントロールのように延々と続くものではないので、ほどなくしてまたコミュニケーション弱者へと引き戻されてしまいます。
さらに、音楽で気分を盛り上げて強くなった気になってみたり、そのおかげで本当に一時的にではあるものの気位が上がってコミュニケーションが円滑になった気がすることもありました。
ですが、これも同じように持続性があるものではありません。
その時の気分にピタッとハマる音楽と出会った瞬間は、「よし、これで次のステージに進むことができるぞ!」なんて喜んだりもするのですが、その感覚も刹那的なものですぐに元のコミュ障へと戻ってしまいます。
こんな感じで、いつも自分なりに試行錯誤して、対人関係を円滑にする方法を模索しながらコミュニケーションを取っていました。
そのうち僕はこうした対症療法的なアプローチでは埒があかないことに気づき始め、自己啓発的ことを学ぶようになっていきます。
そうした中で、自己肯定感は親からの影響が大きいということを知るようになり、両親に意識の矢を向けるようになっていったのですが、僕の場合、それはとりわけ父親にでした。
当時は『毒親』なんて言葉は知りませんでしたが、僕にとっての父親は毒親そのものでした。
ここから父親が原因で自分の中に生まれたネガティブな感情を、一つ一つ丁寧に書き換えていくというアプローチを取っていきました。
しかし、効果はまったくなく、むしろ、意識しすぎて、以前よりも自己肯定感が下がるという結果に。
もっと早く気づけばよかったのですが、気づいた時はすでに遅し。
し、自己肯定感が低いという問題は逆に悪化するという事実を、自分を実験台にして身を持って理解することになったのです。
普通の人からすれば、ただのネガティブな人にしか写らないかもしれませんが、当時は
「これからも自己肯定感が低いまま、大したチャレンジもできずに消化試合のように生きていくしかないんじゃないか」
という、半ば諦めにも似た感覚が生まれ始めてました。
これが20代前半くらいまでの僕の現実でした。
これを読んでくれているくらいだから、多かれ少なかれ、かつての僕と似たように自己肯定感に悩みながら人生を歩んでいるのかもしれません。
あるいは、自己肯定感が低い自分に慣れてしまって、
「これまでも“この自分”で生きてきたんだし、これからも身分相応に生きていこう」
と現状維持の人生を受け入れてしまっているのかもしれません。
いろんな事情があると思います。
生まれた環境や育ち、出会った人や影響を受けたことはそれぞれ違うのだから、置かれた状況が人によって違うのも当然です。
が、一つだけ共通していることがあると思います。
それは、
『人生が頭打ちになっている』
ということです。
自己肯定感が低いまま、限られた枠の中で予定調和路線の未来へと向かって生きているという感覚がないでしょうか?
もしあなたがそういう現実を今生きているとしても、そうなってしまったのはあなたのせいではないと僕は言い切ることができます。
なぜなら、そこから抜け出そうと今まであなたなりにもがいてきたと思うからです。
違いますか?
自己肯定感を高めるための方法を模索し、あなたなりに努力してきたんじゃないでしょうか?
自分の中に、まだかろうじて未来に対する希望の火種が燻ってはいるものの、でも、なかなかうまくいかないから、今こうやってこのレターを読んでくれているんだと思うんです。
そんなあなたに気づいてほしいこと、というか、はっきりと自覚してほしいことがあります。
それは、
ということです。
かつての僕もあなたと同じような現実を生きていました。
そして、あなたと同じように、心の中に燻った希望の火種を大切にしながら生きてきました。
そんなある日、自己肯定感の問題を根本から解決するキッカケとなった一本の動画と出逢います。
それがこちら。
十数年前の映像なので画質が古いのは仕方ないとして、話の内容に注目してほしいと思います。
自分の持った夢に自分の人生はおおむね比例する結果を生む。
孫正義
世の中の常識とは関係なしに自分が一番納得する描きたい絵を描く。
夢を描くのが自分の人生に対するビジョン。
現実が厳しいからこそ自分の人生に対するビジョンをしっかり持つべき。
聞く人によっては、ありきたりな成功者の言葉でしかないかもしれません。
でも、この時の僕の心境と置かれた状況、なぜかハッとしました。
何にハッとしたのか?
「これまで過去にばかり目を向けてきたてな」
ということに気づいたんです。
それと同時に、
という孫さんの一言で、燻ってた心の火種が燃え始めました。
その時以来、
「未来だけを見て生きていこいう」と決意し、できる限り自分のビジョンを具体化して、そこだけを目指して生きてきました。
その結果、何が起こったかというと、
ライフスタイルでもあるサーフィンを心置きなく楽しむために海外への移住を果たし、
現地での不動産投資にも成功し、
起業して日本へと帰国して一年も経たないうちに月収7桁を突破、
ストレスだらけだった人間関係が総入れ替えし、価値観を共有した仲間たちと日本全国を旅行、
そして気がつくと、『自己肯定感』なんて言葉がどうでも良くなるほど、
という“状態”で生活するようになっていました。
最近では、福岡-神戸のデュアルライフも実現し、近いうちに宮崎への移住も視野に入れています。
ホントの話です。
というか、これでも若干控えめに話してます。
本当は、
「自己肯定感が劇的に高まりました!」
と喧伝したいところですが、そもそも自己肯定感が高まるというのは、そういうものではありません。
自己肯定感の本質を理解していくと腑に落ちると思うのですが、自己肯定感とはある時期を境に急激に高まるような、そういった類のものではないのです。
というか、僕も便宜的に使ってはいますが、実のところ、「自己肯定感を“高める”」という表現にすら若干違和感を感じています。
そうですね、あえて表現するなら「忘れ去る」という言葉が一番しっくりくるかもしれません。
自己肯定感の低さから生まれていた問題が知らないうちに解決されていき、
そして気づくと「自己肯定感は高くて当たり前」という状態が実現される
のです。
別の言葉で表現すると、
という感覚。
いまいちピンとこないかもしれませんが、例えるなら、大好きだった恋人にフラれた辛い気持ちを時間と共に忘れていくような、そんな感覚に似ているかもしれません。
「自己肯定感が低い」という感覚すら忘れてしまうような感じです。
試しに小さい頃の些細な出来事を思い出してみてほしいのですが、
例えば、友だちや兄弟との取るに足らないケンカや、悪戯をして先生に怒られたこと、あるいは、テストで不本意な点数を取ってしまったこと等々、
『記憶には残っているけど、感覚をいまいち覚えていない』そんな感覚なんです。
そう、自己肯定感とは『高めるもの』ではなく、『克服するもの』でもなく、
気づいたら『自己肯定感』というワードと共に記憶の片隅と去っていってしまうものなのです。
この“気づいたら”と言う部分がポイントなのですが、あまりのさりげなさから、去って行ってるという実感すらないかもしれません。
なので、ネットでよく見かけるような、
「自己肯定感が上がったおかげで人生が劇的に変わりました!」
みたいなことは残念ながら起こりません。
もちろん何かしらのポジティブな変化は起こります。
セルフイメージが変わるわけですから。
例えば、上手に自己主張ができるようになったおかげで人間関係が良好になったとか、
そのおかげで仕事でのストレスが減って昇進したとか、
あるいは、他人の評価を気にしなくなった結果、自分を表現できるようになったとか、
そういったポジティブな変化は間違いなく起こるはずです。
が、ここに起こった変化というのは、「本来できて当たり前」のものであって、
自己肯定感が高い人は、呼吸をするように当たり前にできていることなのです。
もちろん、今までできなかったことができるようになることは、人生にとって大きな変化だ言えるかもしれません。
しかし、そこで起こった変化というのも、時間と共に慣れて、日常化してしまうというのもまた事実なのです。
重要なことなので、もう一度言います。
自己肯定感が高まることで訪れる変化というのは、本来、できて当たり前のこと、つまりマイナスからゼロ地点への変化なんです。
『自己肯定感が高まる』ということは、言ってみれば、やっとスタートラインに立てたところだと言っても過言ではないのです。
なので、繰り返しになって恐縮なのですが、自己肯定感が高まったからと言って人生が劇的に変わるようなことはありません。
こういった話を聞くと、
「いや、今の不遇は自己肯定感が低いせいであって、自己肯定感さえ高まれば、今までできなかったこといろいろとができるようになるはずだ!」
そう主張したくなるかもしれません。
わかります。
当時の僕が今ここにいたら共感しかないと思います。
かつての僕もそう思ってたし、そう深く信じてました。
でも、考えてみてください。
自己肯定感が高いのに、自分らしい生き方や自分が心から望む生き方ができていない人はたくさんいます。
というか、そういう人だらけです。
・自己肯定感は高いのに、会社でストレスにまみれて働いている人。
・自己肯定感は高いのに、いつもお金の心配をしている人。
・自己肯定感は高いのに、嫌いな人と深く関わらざるをえない人生になってしまっている人。
・自己肯定感は高いのに、現状維持の生き方を余儀なくされてしまっている人。
こういった人を僕はたくさん見てきたし、あなたの周りにも思いの外たくさんいるんじゃないでしょうか?
『自分らしい生き方』『自分らしい在り方』を体現できている人なんて全体の割合からしたら、実は限られたごくごく一部の人でしかないんです。
言うまでもないことかもしれませんが、理想の未来を手に入れるためには、今はまだ持っていない知識やスキルを習得する必要があります。
例えば、理想とする異性と付き合いたいとします。
そうすると、男性であれば女性心理、女性であれば男性心理というものを理解して、理想とする相手に相応しいだけのコミュニケーションスキルを手に入れる必要があります。
あるいは、起業することだって同じです。
今は誰でもインターネット再現なく使うことができるので、小さな個人が起業して成功を掴むことも一昔前に比べて随分とハードルが下がっていますが、それだって相応の知識とスキルの習得なしにはなし得ないわけです。
つまり、ほしいものを手に入れるためには、自分を磨きながらそれ相応の自分になっていく必要があるということです。
よく『引き寄せの法則』なんかで「願いは強く願えば実現する」とか言われてますけど、あれはウソです。
もちろん、『強く願う』という“想い”の部分は大切にしてほしいところではあります。
ですが、願っただけで叶うのならみんな理想の異性を手に入れているはずですよね?
つまり、願うという行為だけでは不十分なわけです。
『引き寄せの法則』で引き寄せるべきものは、引き寄せる対象ではなく、それに相応しい自分なんですね。
すごくシンプルです。
丁寧に説明すれば小学生でも理解できる話です。
なんにせよ、理想の現実を手に入れたかったら、地に足をつけてなりたい自分になっていくことが不可欠だということです。
話を戻します。
先ほど、自己肯定感が低いという問題は、気づいたら『自己肯定感』というワードと共に記憶の片隅へと去っていってしまうと言いました。
これは一体どういうことなのか、不思議に思いませんでした?
でも、実は不思議でも何でもなくて、これは“ある方法”を使うことですんなりと達成することができます。
それが『モデリング』です。
「成功したいなら成功者の真似をすればいい」
という言葉、一度は聞いたことがあると思います。
この成功者の真似をすることが『モデリング』と言われる概念なのですが、
これこそが理想の現実を引き寄せながら、それと同時進行で自己肯定感をぐんぐん高めていってくれるスキルなのです。
僕自身、その時々の憧れの人を“正しく”モデリングしていくことによって、「自己肯定感は高くて当たり前」という状態を手に入れることができたし、
かつての自分が憧れていたライフスタイルも同時に手に入れることができました。
そして、このモデリングによるステップアップは、僕だけでなく、成功者は皆もれなく通ってきたルートなのです。
もちろん、モデリングというものを意識せずに結果を出した成功者も数多くいます。
し、モデリングという概念すら知らない成功者もいるでしょう。
ですが、彼らは自分が通ってきたプロセスが、“実はモデリングだった”ということを自覚していないだけなんです。
なぜなら、彼らの成功は『オリジナルの産物』ではなく、既にある成功事例を組み合わせることによって成し遂げられたものだからです。
と、ここであなたに重要なことをお伝えしたいのですが、それは
「オリジナルなんてものは存在しない」
という事実です。
例えば、孫正義さんも、大谷翔平選手も、宮崎駿さんも、村上春樹さんも、誰かの影響を多分に受けて今という現実を受け取っています。
その影響がその人が持つスキルやマインドセットとなり、そして結果的にその人の人格を形作っているんです。
つまり、彼らも
『誰かの真似をしてきたからこその今がある』
ということです。
理想というのは常に『モデリング』によってのみ達成されるのです。
これはあなたにとっても朗報だと思います。
なぜならこれは、
あなたの願望を叶える方法はすでに存在している
ということを意味するからです。
つまり、あなたが進みたい未来を実現している人を見つけて、その人のやり方をモデリングすればいいわけです。
場合によっては、
「モデリング?そんなもんとっくに学んで実践してみたよ」
と思ったかもしれません。
たくさん本を読んで、たくさん勉強して、たくさん知識を得て、たくさんのノウハウを実践してみた。
でも、なかなかうまくいかない。
ですよね?
なぜ上手くいかないんだと思います?
これは、かつての僕も含め、ほとんどのモデリング実践者に共通することなのですが、
それがただ表面をなぞるだけの『真似っこ』に終始している
からです。
目に見える枝葉だけを真似しても、
「なぜあの場面であの判断を下したのか」
「なぜあの場面であの発言をしたのか」
「なぜあの場面であの表情を浮かべたのか」
という内面的な部分までキャッチすることはできません。
本当は枝葉のスキルより、こうした感覚的な部分の方がモデリングでは大事になってくるのに、多くのモデリング実践者はそこまでリーチできないでいるのです。
なので、先ほど挙げた
「成功したければ成功者の真似をすればいい」
という一般的に使われているこの表現。
間違ってはいないものの、誤解しか生まないんじゃないかと思ってます。
そう、ここには大きな落とし穴があることに気づかなければいけないんです。
その落とし穴とは何か?
『感覚の欠如』です。
一般に広く知れ渡っているモデリングには、この『感覚』『センス』という視点が抜け落ちています。
でも、それに気づかずに成功者の表面的な部分だけをなぞって、
「言われた通りにやってるのに結果が出ません」
と嘆いている人が多いこと。
モデリングというのは、この『感覚』『センス』という視点を取り入れることではじめて成立するものなのです。
極端な話、成功者の感覚を習得してしまえば、成功したも同然です。
なぜなら、スキルやノウハウというものは、それを使いこなす感覚があってはじめて、その効果を最大化させることができるものだからです。
では改めて、『本当のモデリング』とは何かということをお伝えしたいと思います。
それは
成功者の感覚をインストールすること。
モデリングとは、本質的には『感覚の体得』なんです。
“正しく”モデリングをすることによって、自分に必要なスキルを習得しながら、それと同時に成功者の感覚をも自分の中にインストールすることができるのです。
勘のいいあなたなら、もうお気づきですよね?
そう、この成功者の感覚の習得によって、自己肯定感が低いという悩みが知らないうちに解決されてしまうんです。
最短で理想の自分を手に入れる方法
くどいようですが、大事なことなので繰り返しお伝えします。
理想というのは常に『モデリング』によってのみ達成されます。
だから、理想の自分になりたいと思ったら、この『モデリング』というものを避けて通ることはできないという事実を受け止める必要があります。
その上で、“正しい方法”でもって誰をどうモデリングしていくのかを決めるというプロセスへと進んでほしいのですが、
これまでの話を聞いて、あえて自己肯定感が低い人をモデリング対象として選択しようとは思わないはずです。
自己肯定感が高くて颯爽と生きている人に憧れていると思います。
僕もそうだったし、そういう人をモデリングしてきたからこその今があります。
このモデリングのスキルというのは、何も僕だからできたものではなく誰でも後天的に身につけることができるものです。
だから安心してください。
自己肯定感が低いという問題は、自分で未来のビジョンを創造し、モデリングによってなりたい自分になっていくプロセスで勝手に消えていきます。
そして、あなたが思い描いたそのビジョンが、あなたの人生の可能性を無限大に拓きながら『自己肯定感の先の世界』へと連れて行ってくれるのです。